2006年02月28日

●No.581-2 2・28事件

060228.jpg
(台湾台北市・2・28紀念館には2・28事件虐殺犠牲者の写真が壁面に掲示されている)

228事件は、日本が降伏、台湾が光復して一年4ヶ月後の1947年2月28日に起った事件だ。今年は事件から59年目にあたる。

密輸タバコ売りの取り締りに端を発したいざこざが台湾全土に波及した事件で、日頃の国民党政権(外省人)に対する台湾人(内省人)の不満が爆発、官庁や警察の襲撃につながった。
しかし、その後の国民党政権による虐殺と粛正は徹底し、1ヶ月余りの間に殺害された台湾人は約2万8000人、その後逮捕されて刑に処せられた人数は膨大な数となった。

台湾南部・台東市沖合いにある「緑島」は監獄島として、この事件がきっかけで拘束された政治犯を収容する場として近年まで使われた。
元総統の陳水扁氏も緑島で服役生活をおくっていた経歴を持っている。

060228_2.jpg日本統治下の「法治国家」から国民党の横暴ぶりによって「無法地帯」になった中での台湾人の自然発生的な暴動と、それに対する国民党政権の虐殺と粛正の事件を「2・28事件」という。

かっての台北新公園には2・28記念碑も建てられ、名称も2・28公園と改められた。
記念館では、当時拘束されたり服役したいたお年寄りの方々が、ボランティアで来館する観光客へ事件について説明されている。

台湾へ行かれたら、ぜひ訪れることをお奨めする(月曜日は休館)。台湾の近代史を知ることが出来る場所だ。
(南部屏東縣には阮朝日氏の私設「阮朝日二二八紀念館 」がある)

また最近、「事件の最大の責任者は蒋介石」と結論付けた研究書が台湾で出版された。
総統府国史館(国史研究所)の張炎憲館長が中心になってまとめ、国民党政権下でタブーとされた「蒋介石責任論」が民主進歩党(民進党)政権下で初めて認定されたもの。

張館長らが3年前に研究に着手。事件当時、南京にいた国民党政府の蒋介石主席について
(1)電報などで台湾の情勢を掌握
(2)武力弾圧のため軍を大陸から派遣
(3)弾圧を指揮した陳儀・台湾省行政長官を事件後、浙江省主席に昇進させた
などの根拠を挙げ「最大の責任者」と結論付けた。

参考サイト:二二八事件紀念基金會
台湾全土にある二二八紀念碑をみることができる。

             

2006年02月26日

●No.580 歴史教科書

060226.jpg歴史の扱いは、国によって、あるいは政権によって異なるのが常だ。しかし、支那や朝鮮半島のように自国や政権維持のために都合よく拡大解釈したり捏造するのは最悪だ。
同じように、教育課程において都合悪いことを極端にスキップさせるのもおかしなことだろう。もちろん教育は国家政策の原点だから多少の味付けは必要だ。
これまでの日本の歴史教育の最大の反省は、近代史を時間切れカリキュラムという方法でカットしてきた日狂素(日教組)のやり方だ。その結果、近代=侵略の構図をつくり日本人からブライドを取り去ったのだ。
台湾でも歴史教育の汚点がある。国民党によって台湾の歴史は教えられることなく、支那の歴史だけが取り上げられてきたのだ。

両国とも軌道修正を目的に生まれたのが、新しい歴史教科書の「認識台湾」(写真は日本語訳版)と日本の扶桑社発行「新しい歴史教科書」だ。
まともな国は自然に自浄作用が働くものなのだ。言い換えれば、それが民主国家だ。昔は大東亜共栄圏だったが、今は民主国家共栄同盟をめざしたらどうだろう。□

             

2006年02月25日

●No.579 梅林

060225.jpg

各地から梅情報が入ってきた。例年と比べると一週間程度遅れ気味のようだ。
神奈川県では曽我梅林が有名。
かながわの景勝50選にも入っている。
梅林は三箇所に分かれているが、中河原地区が正面に冨士を見ることができ眺めがいい。
八分咲きといったところで香りも漂い美しい梅だった。

             

2006年02月22日

●No.578 ブタまん

060222.jpg横浜中華街に「ブタまん」屋があった。
関東では通常「肉まん」というだけに、異質な看板として目に飛び込んできた。
語感から受ける印象は、上品さは「肉まん」、うまさでは「ブタまん」。
表現の違いの意味は、本当のところは不明だが、関西で肉というと牛肉を意味し、牛と区別するために「ブタ」まんというらしい。

ちなみに最近は北京飯店の肉・具いっぱいの肉まん、あんまんがお気に入りだ。□

             

2006年02月20日

●No.577 春の陽射し

060220.jpg

千点写行常連のひな。今年は早くも1/4に次いで二回目だ。
やや春を感じる暖かさとなったので、ひなも散歩に出ると動きが活発だ。もちろん連れていく主人も同じ。たまたま一緒に生活することになった動物だが、今では「家族」の一員だ。

穏やかな陽射しによる影を見たら、何となく嬉しくなってきた。□

             

2006年02月19日

●No.575-6 餃子共和国

060219_2.jpg宇都宮の餃子共和国へ行ってきた。ラーメン博物館やカレー博物館みたいに10数軒の店舗が入っているところだ。
戦後大陸から多くの兵士が引き上げてきたが、彼らが宇都宮餃子の基盤をつくったといわれている。今や日本一の餃子消費都市となった。
餃子大好き人間にとって、宇都宮の餃子は未踏だったこともあり、検証できる機会を狙っていた。やっと数軒の餃子を体験できた。

まぁ、確かにまずくはないが、それよりも種類の多さが最大のアピールポイントだろう。こうなると「宇都宮の最もうまい餃子店はどこ?」という問いかけはできない。
味は濃く、同じものを10個も20個も食べられるると言う美味しさはない。ざーっと体験した結果は、自分で作る餃子のほうがウマイ!というのが結論だ。

(▽餃子を祀る園内の神社)
060219_3.jpg

             

●No.574 慰霊碑騒動

060219.jpg台湾先住民出身の「高砂義勇兵」の戦没者を祭る慰霊碑“撤去”の危機、そして日本からの寄付による移転、落成記念式典が2006/2/8に行われたことは、ASIAブログに追記したところだ。
そんななか、国会議員で問題ばかり起こしてきた高金素梅が建設手続き上の不備を台北県副県長に抗議した。
さらに、抗議を受けた台北県の李鴻源副県長が「県を代表して謝罪し、記念碑の撤去を求めた」というニュースが飛び込んできた。
最初に慰霊碑を建てた周麗梅さんのご子息、マカイ・リムイさん、そして義勇隊紀念協会は、「子孫へ語り継ぐ歴史の重要性を強調し、県政府による撤去には反対する」ことを表明したとのこと。

高金素梅、国民党による今回の愚行は、原住民の信頼を失うことになるのは間違いない。
(写真は当初慰霊碑のあったところから烏来の滝を望む:2004/5)

[追記] コメント・トラックバックいただいたkitsさんの正論サイトに詳細が掲載されています。
こちらをご覧いただくと全貌がおわかりいただけます。

[追記] コメント・トラックバックいただいたtsubamerailstarさんのホットな烏来訪問報告が掲載されています。
つい先週のことです。

[追記] 2/24、日本語で碑文が書かれている8慰霊碑が撤去され台北県風景管理局に保管された。またあまり問題にされていない大型の慰霊碑は、元の場所にあり、日本語による碑文が木材で覆われたという。

[追記] taiwan-tokusanのブログ「台湾生活」(2/26)にも烏来を訪問した際の現地詳細レポートが掲載されている。

             

2006年02月15日

●No.573 動く歩道

060215.jpg

最近は動く舗道をあちらこちらでみるが、使い方がうまくいってないと何のメリットもない。
急ぐ人は歩きを止めることはなくさっさと進むだろうし、そうでない人は立ち止まって舗道の動きに身をまかせることだろう。ふたつのニーズを満たすためにはノンビリ型が左か右に寄ることになる。これが結構守られていないのだ。
そんな時一旦舗道に乗ったら途中で逃げられないのでストレスが溜まる。だから脇にある普通の通路を使うことが多い。
もっとも写真のように空いてると快適だ。

 1  |  2  | All pages