2002年10月30日

●No.100 竹田駅

021030.jpg台湾高雄から南廻線各駅停車の汽車で50分、竹田駅に行ってきた。日本時代の代表的建物の駅舎が保存されている。実に懐かしい風情だ。何となく子供の時に見たローカル駅の記憶を呼び起こす。
駅舎のすぐ近くに今回の目的でもあった池上一郎文庫が建っている。植民地時代に竹田地区で医療貢献した池上博士が、戦後日本の書籍を寄贈したり日本への留学生支援を続け地元の尊敬を集め記念に立てられた図書館である。
今でも現地の人たちで催されている読書会の会場にもなっている場所だ。
詳細はホームページに掲載)

たまに通過する汽車の音しか聞こえてこない田舎だが、図書館でゆっくり時を過ごすことができた一日だった。

             

2002年10月26日

●No.99 明石元二郎先生紀念講会

021026.jpg26日台北市で開催された「元台湾総督明石元二郎先生紀念講会」に参加するこ とができた。

「今日の会は明石氏の功績を称えるだけではなく彼の愛を通して日台の交流にしたい」旨、交流国際文化基金会・楊基銓董事長の開会 の辞によって始まった。 続くシンポジウムでは、前日本経済新聞社論説主筆の水木楊氏による「明石元二郎の人生」、台湾史研究家である楊碧川氏による「明石元二郎と台湾-植民統治の心理状態」の講演が行われ、明石氏の生い立ちや功績、エピソードが紹介された。

引き続き座談会が、現代文化基金会顧問であり司馬遼太郎の「街道を行く」で老台北として著名な蔡焜燦董事長の司会で行われた。
はじめに明石氏の墓地を手当てするため中心になって尽力された楊基銓董事長夫人の楊劉秀華女士による墓地建設にまつわるエピソー ドが披露された。明石氏の愛を日本国として何とか広く認識しても らい、その愛を通した友好を次代につなげていきたいという強い意思を感じさせるお話であった。

その後会場の参加者との活発な意見交換が行われた。 なかでも強い印象に残ったことは、明石氏の孫にあたる明石元紹氏 の「日露戦争、朝鮮統治の仕事は納得できるものだったかもしれないが、台湾での仕事についてはまだまだ本意ではなかっただろう」 という発言であった。 わずか一年四ヶ月でかなりの功績を残したとはいえ、病のために志 なかばにして帰国せざるをえなかったことは心残りであり、台湾を 愛するだけでなく、引き続き夢を成し遂げるためにも台湾の地を永眠の場所に選んだのではないか........そんな印象を強く受けた発言だった。

この様なイベントが台湾人によって行われたことは大変意義深いことであり、日本においても広く伝えたいことである。
(帰国後の11/2 楊基銓董事長、夫人の楊劉秀華女士と電話でお話をした。実に素敵な方たちだ。)

             

2002年10月19日

●No.98 初秋

021019.jpg朝夕が涼しくなりやっと秋の気配だ。

そんなとき北朝鮮に拉致された5人の日本人が一時帰国を果たした。北で生きる術を身につけ忠実な朝鮮人に変身したエリートたちである。彼らの神経障害を治療するためには時間が必要だろう。28日までの滞在中にそれが叶うとは思われないが期待したい。それができなければ死んだとされている他の方たちの真相が闇に葬られてしまう。

500名の韓国人も拉致されている。太陽政策は北に通用しないことがはっきりしてきた。韓国も早く北風政策に転じて欲しいものである。
右手で握手をしながら左手で銃を構える国はドンドン追い込むべきだ。

                     *     *

勤務先の退職したOBの集まりである社友会が昨夜開かれた。運営の事務局を担当する役割で私も参加した。 懐かしい面々300数十名が集まり賑やかなパーティとなった。毎年一回のこの会合、OBにとっては楽しみな会合である。
それにしても面白い現象だが参加者のほとんどがスーツ姿だ。
社友と会うのと同時に会社にも触れたがるからなのだろうか・・・。 会社にいるときと同じ上下関係で話をしている姿・・・。
なんだか変である。

             

2002年10月13日

●No.97 江ノ島

021013.jpg江ノ島へ行ってきた。多分40年ぶりくらいかもしれない。
島を巡る観光コースがある。といってもその道しかないが・・・・。
歩いて洞窟まで行く。そして折り返し戻る。

そこで気がついたのだが、何と江ノ島へ行きながら海や遠くに見えるだろう三浦半島や伊豆半島が見えないのだ。
道の両側は食堂、茶店、お土産やが軒を連ねている。もし景色を眺めるのならば、それらの店に入り何かを注文しないと景色が見られない仕組みになっているのだ。
それはないだろー!!!。

ほんの少しの隙間で海を見ることができた。秋の象徴であるススキが風になびいていた。

             

2002年10月01日

●No.96 台風21号

021001.jpg戦後最大の規模と報道された台風21号が夕刻東京を直撃した。
そしてこの日勤務先企業の統合がなされた。アライアンス発表があってから約10ヶ月、職場のメンバーも準備のため本当に頑張った。日常の業務にプラスしての対応だ。大変なものである。

まだ流れに乗るには数週間はかかるだろう。あとひと頑張りだ。